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kentaakagonn

Author:kentaakagonn
ナカヤマケンタ

1982年、広島県福山市生まれ。
東京大学教育学部へ。
学生時代は硬式野球部でがんばり、
後半はもっぱらDJ、イベントオーガナイズに打ち込む。
選曲のみ(笑)を買われ、
大型クラブイベントから小箱のマニアックなイベントまで多数出演、オーガナイズ。

卒業後某大手IT企業に就職。
が、サラリーマンという生き方に疑問を感じ、
その1年後に自分でビジネスをスタートし、
さらに1年後24歳で脱サラ。
若くして成幸を目指して日々活動中。

現在は毎日自由で楽しく感謝の日々を送っています。
世の子供たちに、大人って最高だよねっていう生き方を見せるべく、

ビジネス、講演活動、イベントオーガナイズ、ホームパーティー、多数趣味など、
日々もっと楽しくをモットーに活動してます。









http://mixi.jp/show_friend.pl?id=249852


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ナカヤマケンタの歴史 第9部

 
2008/09/08(Mon) Category : 歴史
第9部

阿佐ヶ谷の一軒家でのホームパーティーは超超好評でした。
毎週のようにパーティーして、
深夜はクラブみたいになって盛り上がる。
ほんとに、毎週毎週。。

そんななか、ホームパーティーでひとつの出会いがある。
一度だけ会ったことがある友達というか知り合いぐらいの関係の人が
たまたま東京にくるということで遊びにきたのだが、
彼が連れてきた、その直前にはじめましてしたらしいひとつ上の女の子。
性格は男(笑)。。というかちょっと価値観が普通じゃない。
こんなつながるはずがないけどなぜかなぜかありえない確率でつながった彼女が、
さらに人生を変える出会いをたくさんさせてくれることになる。

彼女の親友であるY氏は、
当時32だったがDJでサーファーでおしゃれで外見もかっこよく、
しゃべらせれば異常におもしろい人で、
会社にいる32歳とはちょっとくらべものにならない魅力的な人だった。
しかも年収○千万あって自由人!?

Y氏からその後いろいろおそわるのだが、
正直今までとは全く違う世界。
会社員という生き方に疑問を感じていた自分にとっては、
世の中捨てたものじゃないという感覚。
Y氏のまわりには、実は同じように自由に楽しくキラキラ生きている仲間ばかり。
6Richという言葉を習った。
Freind Rich
Money Rich
Dream Rich
Health Rich
Beauty Rich
Time Rich
要は豊かさとはバランスが大切だということ。

何が普通だかわからなくなったが、
自分がどちらに行きたいかは明白だった。
自分も生き方を自分で決められるようになりたい。
そうなりたければそうなるようなことをしなければなるはずがない。

まあリスクもないし、むしろやらないリスクの方がでかいよな。
サラリーマンの収入だけで生きることがどれだけリスキーかは、
少し知識がある人ならご存知だろう。
自分のビジネスをスタートすることに決めた。
決めた途端、暗い霞がかった未来がパッと明るくなった。
それから新しい情報をたくさん得ていくが、
知れば知るほど確信がどんどん深まっていく。

そして新しい出会い。
当然取り組むことが違えば出会う人も違う。
新しく出会うようになった人は何よりオーラが違う。
考え方も発言もプラスしかない。
そして様々なジャンルの仲間が増える。
今までも人脈は多い方と思っていたが、
本当に勘違いでしかなかった。
今までどれだけ小さくせまい世界で生きてきたかがわかった。

楽しさとは相対的なもの。
今まで楽しいと思っていたものは、
さらに楽しいものを見つけるとつまらなく感じる。
どんどん時間配分を変えるようになった。
ガンガンやってたイベントもお休みし、
とにかく未来を変えていくことに時間を費やす。

ビジネスは当然すぐに結果は出ない。
動かなかったら見ることすらなかった壁がいくつもあって、
いろんなことが起こって、エキサイティングきわまりない。
しかしコツコツやっていったことは積み重なっていく。
未来が少しずつ少しずつ変わっていくのがわかる。
ただただワクワクして毎日を過ごした。

約1年後、収入がサラリーマンの給料に追いつき安定するようになる。
もちろん仕事を続けてもよかった。
だけどとにかく時間と環境がほしかった。
晴れて脱サラ。
自分で自分の時間を決められるようになった。
わずか1年、人生が完全に変わった。

第9部おわり。


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ナカヤマケンタの歴史 第8部

 
2008/09/06(Sat) Category : 歴史
いやー恥ずかしい仕上がりになっていますw
第7部までは読んだらわかるように学生時代に書いたもののようです。

第8部からは今から書いていきます。

第8部。
入社前の半年ぐらいはとにかく異常なぐらい人に会った。
かなりビジネス意識の高い連中とも、
遊びの達人とも、
経営者の方々とも、
学生の中ではかなりの人脈をもっていたほうだと思う。
最初は無意識だったけど、途中からそれがものすごい財産だということに気づいた。
イベントもconnectにとどまらず、大小様々なイベントを主催したり、
DJとして出演させていただいたりした。
遊ぶだけではなく、バイトも今までの飲食とか塾講とかではなく、
採用コンサルの会社で働かせてもらうことになる。
ここの社長がまた素敵な方で、若くして成功していてリスペクトな存在でした。
ここでは事務から営業までいろんなことをやらせてもらったが、
おもしろかったのは30万円どんと渡されて、
これを好きに使ってこのプロジェクトを成功させてほしい、
余ったら全部自分でもらっていい、あとインセンティブもあり、なんて話。
学生ながら燃えた。
時給ではなくやればやるだけ報われるってすごい。
30万円の資金は1円も使わずプロジェクトを成功させ、
インセンティブも10万円もらい、さらに時給も発生していたため、
この時期鬼のように稼ぎました。

そんないろんな経験をしながらついに3月。
卒業旅行でアメリカ西海岸へ。
LA、ラスベガス、グランドキャニオン。
大好きな大学の仲間たち3人で。
このとき国内での刺激があまりに強すぎて、あまり乗り気ではなかった。
だけど行ってみると、めちゃくちゃ最高の時間を過ごせた。
海外ってやっぱりおもろい。。
帰国後いきなりイベントをはしごし、
とにかく毎日イベントがあって、
学生生活の最後を思い切り楽しんだ。

そしてNT○データ入社。
なにげに人気就職ランキングトップクラスだ。
正直燃えていた。
入社式で、社長にどうやったら社長になれますかって質問したのを覚えている(笑)
今思うと、いくら積まれても雇われ社長には絶対なりたくないけどね。。
駒場の研修センターで、3ヶ月の研修を受けるんだが、
これが高校みたいでかなり楽しいのだ。
同期だけでも500人弱いたため、新しい出会いがまたすごい。
とにかくトップになりたいということでかなり勉強した。
なかなかいい線いってたと思う。
そして夜は本当にほぼ毎日渋谷で飲み会なのだ。
楽しい3ヶ月が終わり、ついに配属。
某大手携帯電話会社のシステムをつくっている部署に配属された。
ここでも楽しくやらせてもらっていた。
上司も反発することもあったが基本的にはいい人で。
しかしここからあれ?と思うことがたくさん出てくる。

昼休みが終わる10分前、ほぼ全員寝てる。。
飲み会は愚痴か仕事の話しかない。。
だらだらと残業する。。
上司にへこへこしまくる。。
プライベートの時間がだんだんなくなる。。
仕事はいいけど、この環境やばいかも。。

休日は超充実。
毎週のようにイベントやったらい大騒ぎで、
当時は流山の会社の寮に住んでいたんだけど、
下手すると半分ぐらいしか帰らなかったんじゃないかってぐらいエンジョイ。
他の会社のみんなもまだ新しいことだらけで楽しい時期なようで、
そいつらの話を聞くのもまあまあおもしろい。
みんな仕事も遊びもできる最高なやつらだ。

ここで出会った仲間とよくイベント行ったり飲んだり、
何かおもしろいことを企んだりしてました。
そこで行き着いたんだが、3人でルームシェアをすることに。
完全にノリでしかないが話はどんどん進み、
早くも社会人1年目の12月に実現。
阿佐ヶ谷のおしゃれな1軒家を借りてのシェア生活。
我ながら本当におしゃれな家で、
駅から遠いし、阿佐ヶ谷っていう微妙なポジションだけど、
物件だけ見てひとめぼれしたという感じだ。

大前研一さんは人生を変えるには3つの方法があるという。
住む場所を変える。
時間配分を変える。
つきあう人を変える。

そのうちの最初の住む場所を変える。
本当にこれが人生を大きく変えるきっかけとなったのでした。。

第8部おわり。







 
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ナカヤマケンタの歴史 第7部

 
2008/09/06(Sat) Category : 歴史
第7部です。
イベントやら何やらやっているうちに就活の時期がついにやってくる。
正直そのころは社会に出るということに対してあまりに関心がなすぎた。
自己分析も、業界・仕事研究も今思えばかなりテキトーだったなぁと思う。
面接で「考える前に行動する」というところを前面に押し出していたこともあったが
就職活動では皮肉にもその特性がもっとも裏目に出た。
とはいえ、べつに就活全体を通しては失敗だと思っていません。
行きたかった企業に卒業できれば行けるし、やりたいことだってたぶんできる。
ただ、もう少し早くいろいろ考えることができれば、
もっと多くのものを得ることができたんだろうなーと今となっては思う。
でも就活を通して、いろんな人に出会い、いろんな経験をしていく中で、
自分のやりたいこともだんだん見えてきたし、
やらなければならないこともたくさん見えてきた。

まあとにかく意中の会社の内定を頂くことができ、
さあ何をしてやろうかと思った。
そんなときに、刺激的な仲間たちに出会う。
本当に小さなつながりが広がっていき、さらに新しい刺激的な仲間に出会える、
そんな環境が気づいたら自分のまわりにあった。
そしていろんな人との出会いの中で
甘かった自分の考え方がどんどん磨かれていくのがわかった。
本当に、その環境が幸せだと感じたし、それを与えてくれた仲間に感謝した。
そして、同期の仲間と話しながら考えたのがconnectである。
こういう環境をみんなにも提供し、みんながいい刺激を与え合って、
みんなで成長していければいいなぁと思った。
本当はそんな堅苦しいものでもなく、単純にみんなで楽しめればいいなぁと思った。
最初は実はけっこう軽い気持ちではじめたイベントだった。
しかし、予想外だったのは、自分のまわりの人間がとても優秀だったということ。
おかげで、今ではHPもでき、スタッフも増え、大規模なものになってきました。
そしてさらに自分自身にも、本当に多くの素晴らしい出会いがありました。
それもこれも本当に仲間に恵まれたということに尽きます。
みんなありがとう!

内定後は、主にconnectのほうで動いてきた気がするけど、
他にも、自分は今までビジネスに関する勉強をしたことが全くなかったので、
いろいろ勉強したり、インターンやってみたりもしていた。
4月からついに社会人となってしまうわけですが、
自分にはまだ社会人として足りない部分がたくさんあるわけで、
これからあと1ヶ月、しっかりと自分を磨いていこうと思います。

第7部 おわり
 
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ナカヤマケンタの歴史 第6部

 
2008/09/06(Sat) Category : 歴史
第6部です。
こうして晴れて東大に入学することができた。
文三5組というクラスになったんだが、
そこのメンツは本当に恵まれていて、
最初のオリ合宿ですでに何人かとは
めっちゃ仲良くなって
もちろん今でも仲良くやってます。
うち2人は会社も一緒です(笑)
いなかものの自分は東京という未知の世界が楽しみでしかたなかったのもあり、
東京での生活が楽しくてしかたなかった。
野球部入部前には新歓コンパとかにもけっこういったし、
学校帰りに渋谷・原宿・代官山とかで買い物しまくってたし、
大学って楽しいなぁって感じだった。
すみかは、地元福山市民寮みたいな誠之舎という
本郷近くの古い寮に住むことになった。
寮の新歓ではビールを死ぬほど飲まされ死亡した。
またそれも楽しかった。

そして、神宮へ東大野球部応援ツアーがあったので
どんなものかと行ってみた。
それはそれはもうやばかった!
かっこよすぎた!
試合はボロ負けだったけど、思っていたよりずっとレベル高くて、
いつかはここで!と思い、数日後東大球場へ向かった。
最初めっちゃ緊張していたが、
先輩方も同期もそんな自分にラフに話しかけてくれて、
すぐに溶け込むことができた。
間近で見ると、やっぱレベル高いなぁと思った。
まずは基礎体力つけないとなぁと思い、
がむしゃらに筋トレにはげんでいた。
下級生は上級生の自主練が終わるまで各自の練習をしながら待ち、
それからグラウンド整備、片付けをするので
帰るのは毎日夜おそくになっていた。
しかも最初は張り切って、学校ほとんど行かずに
練習に行ってたので、週6で午後から夜おそくまでという毎日だった。
ただ、高校野球とはノリがずいぶん違うなというのは
みんなも言ってたけど感じた。
大学野球はよくも悪くもクールなイメージです、自分の中で。
受験で休めていたにもかかわらず、
やっぱり肩肘が痛かったこともあり、最初はあまり投げないでいたが、
春季リーグ戦後の新人戦が近づくと、少しずつ投げ始めた。
やっぱり軟球と硬球は全然違って、全然球が伸びずに、
やばいなって正直思った。
普通に投げてもスライダーみたいになってしまう。
いわゆるまっスラである。
うちの代は他の投手がとても優秀だった。
みなさまご存知の松家(横浜ベイ)はもちろん、
それぞれいい投手で、自分はまだまだって感じだった。
高校時代にまともに高校野球をやってたやつは、
フィールディングとか細かいところがしっかりしている。
おれはその点、細かい練習ができない環境だったのもあり、
本当に下手くそだった。甘すぎる点がどんどん露呈していった。
しかもいろんなところを痛めていて、とても神宮デビューどころではなかった。
井の中の蛙とはこのことだと思った。

悔しくて、家が近かったこともあり、かなり夜おそくまで練習した時期もあった。
が、ことはそんなにうまくはすすまない。
けがが続いたり、評価してほしい部分が評価されなかったり、
いろいろ汚い部分を見たり、
精神的にやられることも何度もあった。
本当にやる気がなくなってしまうこともあった。
このままじゃあんなに好きだった野球が嫌いになる気がした。

自分は本当に弱い人間です。
本当にいろいろな理由が絡み合って、結局神宮のマウンドに立つことなく
野球部を辞めた。2年の終わりぐらいかな。
野球するために東大に入ったのになぁ。
でも後悔は全くしていない。しないと思ったから辞めた。
4年間続けたらもしかしたら念願の神宮のマウンドに立てたかもしれない。
でも今それ以上のものをたくさん得ている気がします。
いや、野球を辞めた以上、それをこえる価値のあることをやろうと
常にこころがけてきた。その結果が今です。

そして今、野球と、東大野球部が大好きだと言えます。
MSNのときのブログを見ればわかると思います。

とはいえ野球をやめてしばらくは何もしなかった。
いろいろ考え事したり適当に遊んだりしてた。
でも何か始めないと、と思ってはいた。
趣味を見つけようと思った。そこで一番に思いついたのがDJです。
何もクラブでやろうなんてそのときは思ってもみなかった。
ただ、自分の好きな音楽を聴くだけじゃなくて
いじることができたら楽しいだろうなーって。
じいさんになってもできるし、一生の趣味にできると思った、
ただそれだけである。
一生懸命バイトして、10万円でターンテーブルを買った。
そのときはあまり詳しくなくて、はやりのヒップホップやレゲエ中心に買っていた。
それからミドルやアングラへと耳が変わっていった。

たまたま地元で高校時代の友達がイベントをするというので
初めてクラブでまわすことになった。
めっちゃ気持ちよくて、やっぱクラブでやりたいなぁと思うようになった。
今思えば、とても簡単なことだが、当時はクラブでDJすることは
めちゃくちゃ難しいことだと思っていた。
友達と話ばかりがはずみ、全然行動に移すことができなかった。
あの頃の行動力のなさは、今考えればありえない。
でもやっとの思いで、メンバーを集め、めいっぱいの友達を呼んで
GALAXYというイベントをやった。
あれはなかなかおもしろいイベントだったなぁ。
集客とかはたいへんだったけど、いい音と人に囲まれて
最高の時間を過ごすことができる、すばらしいイベントだった。
そしてそうこうしてるうちに、就活が始まる。

第6部 おわり


 
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ナカヤマケンタの歴史 第5部

 
2008/09/06(Sat) Category : 歴史

第5部です。
アツイ高校野球生活を終え、
東大受験を決意した。
しかし、高校の成績は真ん中よりちょっと上ぐらいの位置で
とうていこのままで受かるはずもない。
しかも、2次試験では社会を2つ受けなければならない。
とにかくひたすら勉強した。
でも不思議と目標を持ってやるとそんなに苦にならないものである。
今思えばというだけかもしれないが。
河合塾福山校の8階の自習室に毎日通い、もくもくと勉強。
夏休みは朝から晩までやってたもんです。
昔からのクセで音楽聴きながらやってた。
いつの間にか音楽聴きながら他のことができるようになってた。
あの時はなつかしのハイスタとかブラフとかマッドとか
日本のロックばっかり聞いてたっけなぁ。うーん、若い。。
そして2学期からなんとか河合塾の東大クラスに入ることができた。
ここでは先生が非常に優秀で、人柄もよく、気持ちよく授業を受けることができた。
あと、河合にはチューターっていう相談役みたいな人がいるんだけど
この人がまたいい人で、河合塾は楽しかった。
高校でも今までは寝るか野球の本読むかボールを挟んでフォークの練習するか
って感じでほとんどまじめに授業受けてなかったけど
集中して聞くようになった。
目標の力ってすごい!
あと、9月に、しかも学園祭の日に失恋をしました。
なんかそれが悔しくて、
成績上がったからって見返せるわけでもなんでもないのに
ものすごいバネになり、ひたすら勉強に打ち込めた。
うーん、ほんとよく勉強してた。
でも合間に友達と遊んだり、夜には気分転換に
素振りや坂ダッシュや腹筋背筋やってたかなぁ。

勉強の成果は冬頃から徐々に出始めた。
成績は、細かくは覚えてないけどかなり上がった。
努力は報われるものです。
それでも東大は程遠いものだと感じていた。

受験のため上京し、野球部のグラウンドへ。
遠くから見ただけだったけど
燃えてきた。
アドレナリン出まくりで本番を迎える。
東大は数学4問中2問完答すれば受かるといわれている。
もちろん他も普通にできていればの話ではあるが。
今まで、できて1問という感じで、本気でやばいと思っていたが、
本番でなぜか2問解けてしまう。
他のもまあ無難にこなした。
試験を終えて、感触的にはほぼ5分。
今考えれば、5分までもっていけたこと自体満足に値するかも。

あとは結果を待つのみ。
東大の発表は一番おそく、忘れもしない3月10日であった。
その前日に卒業式があり、おれのまわりの友達はだいたいその日に
結果が出て、幸い友達はみんな受かっていて、
自分も心からうれしくて泣きそうになった。
卒業式は、普通に楽しかった。
野球部の後輩たちが胴上げしてくれました。
とてもいい気分でした。
本当にこの学校を選んでよかったと思った。

そして3月10日の昼の2時ごろ、
通知の封筒が来た。
そのとき家にいたのはおれひとりだったので、
早速封筒をやぶった。
目を閉じて紙を引っ張り出した。(実話 笑)
そして目を開ける。

合格!!

うれしくてひとりで号泣してしまった(笑)
そしてすぐさま電話で友達に伝え、チャリでみんなのもとへ。
家に帰ると、家族みんなが祝福してくれました。
本当にみんなに感謝でした。
そして自分の部屋に戻り、
部屋中に足の踏み場もないくらい散らばったプリントを見て
ああ、おれがんばったなぁと改めて思った。
それから上京までのあの解放的な日々、よかったなぁ。
トレーニングも始めた。
硬式用のグラブも買った。
また野球ができる!しかも大学最高峰の東京六大学リーグで!
期待に胸をはずませて、上京。
ありがとう福山!

第5部 おわり


 
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